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プロフィール

MARSE は元ミュージシャンであり作家のキャリアを持つ高田(タカダ)と、スタイリスト出身のmasamiでオーガナイズされ、デザイン、型入れ、縫製を高田が、パターン、縫製、飾り付けをmasamiが受け持っている。

今までベールに包まれていたMARSEの実像を、デザイナーである高田にスポットを当て紹介して行こう。

ミュージシャンとしての理想と現実に、違和感を覚えていた高田は、ある日突然「芸術性を等閑にし、商業的有効性に偏りすぎた音楽には魅力がない」と、5年間活動を続けて来た音楽業界に自らの意思で背を向け、新たなる表現の場を模索し始める。

その後、バンドのスタイリングに協力していたmasamiと、雑誌Streetで意気投合し都内にて洋服屋をオープンする。 数年後、既成の帽子に満ち足りぬ日々を送っていた頃、幸運にも雲上の存在だったアーティスト黒渕氏と出会い、高田は自然美を纏った繊細な感性を、masamiはしなやかさと力強さを兼ね備える卓越した技術を習得するため、原宿にあるスタジオHatpinに通い始める。

そして2006年ショップを閉店し、翌年2007年正式にMARSE を立ち上げる。この頃から高田は、ペンネーム/高田真秀(コウダ・マシュウ)/K.Matthewを名乗り、モチーフのメッセージ下に度々登場している。

美しいフォルム、性別を超えたデザイン、クォリティの高い素材、そしてしっかりとした縫製に定評のあるMARSE の帽子だが、一部の帽子に付けられているセンシビリティに富んだメッセージモチーフは、決して見逃すことが出来ない。

そのシニカルで刺激的なメッセージの始まりは、なんと言っても2007年にリリースされたARMY CAP、「Deadly Toy」だろう。 トップ(丸天部分)を平和の象徴であるピース型に切替、サイドにはメタリックインクで「Deadly Toy(U-235)from J. Robert Oppenheimer」と、ARMY CAPを用いてあのオッペンハイマーを痛烈に皮肉ったのだ。

「たかが帽子、されど帽子」


このARMY CAPはスラップショット渋谷店の佐々木氏を始めスタッフの協力もあり、マイナーブランドのアイテムとしては異例の販売個数だったようだが、メッセージモチーフを含めそのことにについて高田は次のように話している。

高田:「メッセージモチーフは、あくまでもビジュアル的要素の一部にしか過ぎないですし、このARMY CAPはフォルムが時流にフィットしたことと、メジャーショップであるSLAPSHOTさんのショップパワーと、佐々木氏の尽力によるものだと思います。」

けれども、問題意識から来るメッセージのクォリティ、そしてその内容を知った時、彼のこの言葉は謙遜に聞こえてしまう。 確かに一般論からすれば、商品(帽子)に付けられているメッセージモチーフは、ビジュアル的要素の一部であって、メッセージの意味が購入のモチベーションになるとは考えにくい。 しかし、そのビジュアル的要素の一部にしか過ぎないメッセージであっても、決して高田は等閑にしない。

高田:「言葉がそこにある(付いている)以上、伝えたい“何か”でなくてはいけないと考えています。“メッセージなんて読まないだろう、意味を持たせたところで解りっこないさ”と高を括り、希薄な意識で表現することは、消費者を見下した愚かな行為だと思います。」

ここにアーティストとしての意識の高さと、人知れぬプライドの高さを強く感じるのだ。

もし仮に購入者の1人でもメッセージの意味に気付き、センシビリティに触れ購入したのであれば、その人は付加価値の優越感を独占できるのだ。 そう「僕は知っている」と。 そしてその数が増えれば増えるほど、今度は優越感の独占から優越感の共有へと、パラドックスに陥ることなく変化して行く。

マーズ・ワールド!これはマーズ・ワールドだ!

この他に「Rock is Dead」、「Active than Passive」など、デジタルに侵されたミュージシャンの苦悩を、アイロニー(irony)を交え表現したシリーズもある。


高田:「モチーフの画像は、ブロードウェイ(ニューヨーク)の路地で見つけたギグのポスターをカメラに収め、それを加工したものです。彼はベースではなくウクレレを持っていますが、これに気付いたのは帰国後暫く経ってからでした。Rock is Dead、Active than Passiveのイメージは、このポスターが放つシリアスとユーモアのコントラストを、ミュージシャンの複雑な心境にオーバーラップさせ表現したものです。」


また、2009SSで完結したカウリスマキ映画シリーズ、「労働者(敗者)三部作」は、人として誰しも抱えている脆弱さや情けなさに、心から共感するデザイナー高田のさり気ないオマージュなのだ。


----「オマージュについて、「Erice(エリセ)」、「Eureka(ユリイカ)」、「POWDER」と、映画からインスパイアされたタイトル(商品名)のようだが、好きな作家、俳優、映画のタイトル、また、普段どのような音楽を聴いているのかお聞かせ願いたい。」



高田:「それはプライベートすぎる質問です。」

----「なるほど、では2010SS COLLECTIONの中に「helpless」という作品があるが、「ユリイカ」、「ヘルプレス」とくれば、青山真治氏の映画を想起するのはごく自然だと思われるが。」

高田:「それに関してはノーコメントです。」

----「ノーコメント。どうしても?」

高田は俯いたまま少しの間沈黙していた。そして言葉を選びながらゆっくりと話し始めた。


高田:「....『ユリイカ』という映画は娯楽ではなく、芸術性の高いとても有意義な作品だと解釈しています。言葉、音、間、色彩、それらが織り成す絶望の残像は、“傷の浅い“傍観者たちを静かに飲み込んで行く。けれども”長い旅“の終わりに僅かな救いを感じた時、僕は魂を揺さぶられましたし、こんな素晴らしい映画を撮れる作家が日本にもいたことに、正直驚きました。あれっ何言ってるんだろう、帽子に関係のないことを話してしまいましたね。」

----「いいえいいんです。それが狙いですから。コウダ・マシュウを知るということは、MARSEの帽子に関する、一つのファクターを知ることになります。ところでユニークなファッションセンスをお持ちのようだが、ファッションのポイントや何か心がけている点があれば伺いたい。」


高田:「ファッションは自己表現のひとつですから、自分らしさを反映しているファクターの一つだと思います。これは個人的な感覚でやっていることですが、いつもどこかに“ロック”をフューチャーするように意識しています。」



----「“ROCK”具体的に言うと。」

高田:「そうですね、この“ロック”感を言葉にするのは非常に難しいので、例をあげて言いますと、例えば僕が被っているハット(左画像)を正面から見ると、トップ部分の山がアシンメトリー(左右比対称)になっていますが、そこが“ロック”です。」

----「そこがロックですか。なるほど確かにユニークですね。」

高田:「はい....ですがこのHATは(2007AWにリリース)、あんまり売れませんでした。」

----「そうですか、素材の質感とデザインに雰囲気を感じますが、やはりメンズ市場はネガティブ思考が優勢で、無難なアイテムを求める傾向が強いですからね。他には。」



高田:「あとこれは3年くらい前から復活したマイブームで、この中途半端な丈の軍パン(下画像)に、サーマルスパッツの重ね着、それで山系を意識しつつ、アウターはマンパではなくテーラーJKで意表を突くと言ったところが“ロック”です。」


----「意表を突くところがロック。何となく解ったような気もするが。」

高田:「これは感覚的なところなので、伝わりにくいのかも知れませんね。と言うか殆ど自己満足の世界です。ただ、僕のファッションは、個人的に楽しむための格好なので、理解や共感を得られなくても構わないのですが、MARSEの帽子に関しては、ある程度共感して頂けることを望んでいます。」

----「それは勿論です。その辺は十分共感していますよ。」

高田:「そう言って頂けるととても嬉しいです。」


----「うん、ユニーク。ではあなたにとって帽子とは何ですか。」

高田:「20代半ばのある日、これから出かけるというのに、なかなかヘアスタイルが決まらず、いろいろいじっているうちに収拾がつかなくなり、それでも約束があったので仕方なく出かけたのですが、その日は一日中ブルーでした。そんな気持ちを引き摺りながら、代官山のショップで何気なくハットを試着したところ、印象ががらりと変わり1つの帽子がビジュアルを通じ、メンタル面に大きな影響をもたらしてくれました。以来僕にとって帽子は、ファッションに欠かすことの出来ない必須アイテムとして、しっかりと心に刻み込まれたのです。」

なかなか面白い話が聞けました。では最後にメッセージモチーフについて、“伝えたい何か”であるのなら、なぜ日本語で伝えないのか、少し意地悪な質問をぶつけてみたが、解り易い滑らかな回答に心地よさを感じた。

高田:「一つは、グローバルな視点からです。もう一つはメッセージを伝える手法として、絵、イラスト、写真などもありますが、文字も同様に形として捉えています。ですから漢字、ひらがな、カタカナよりも、例えばアルファベットの形の方が、視覚的にデザインの一部として馴染み易いですし、より美しいと感じることが多いからです。けれども、デザイン上その帽子にカタカナが必要だと感じたなら、そうするでしょう。」

『postscript』

「モノ=物質」

洋服とは単なる物質なのだろうか。

コウダ・マショウも言っている通り、少なくとも洋服には「僕は(私は)こういうファッションが好きです」と言った、自己表現(アイデンティティー)に関係する必要な要素が含まれている。簡単に言えば洋服とは、最も分り易い自己表現の一つなのだ。

しかし、その自己表現をするための洋服が、どこへ行っても同じようなモノで溢れ返っているのが現実だ。『モノが売れない時代』故に、同じようなモノを大量生産する現代社会のジレンマ。

“良いモノ”より“売れるモノ”に力を注ぎ、必要な議論もせず『売れるモノは良いモノ』であるとする、短絡的で美意識を持たない思考性にはまったく賛成できない。

このような思考性が市場において最優先され続けるのであるなら、“良いモノ“で溢れ返る時代は遠く、才能豊かで素晴らしい技術を持ち、真摯にモノ造りをしているアーティスト達の幻影に留まるであろう。

こうした矛盾が生まれるのは、消費者にとって“良いモノ”とは何なのかと言った、造り手側が担っている基本的な命題に背を向け、商業的有効性に依存し過ぎて来たからではないだろうか。

MARSEが造り上げる帽子には、しっかりとしたコンセプトがあり、そのモノに込められている愛情の様なものを感じるのだ。例えば「A.C.C.CのWatch CAPは、長時間被り続けても....」のフレーズで謳っているが、確かに長い時間被っていても、それほど鬱陶しさを感じさせないのだ。これは単にサイズだけで解消される問題ではない。自分が持っている帽子と比較してもそれは明らかだった。

同じようなモノが溢れる時代の真っ直中で、マーズは“良いモノ”とは何か、と言った命題としっかり向き合い、真摯な姿勢でモノ造りに力を注でいるブランドの一つである。

このようなブランド達こそ、世の中の光をもっともっと浴びるべきなのだ。


文:幸太郎

SPECIAL THANKS

Yuji Sekine
Mizuyo "vata" Yoshimura
HIDE
WACO

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